横浜地方裁判所 昭和44年(ワ)1686号 判決 1972年6月01日
原告
大野良平
ほか一名
被告
株式会社西湖堂
ほか一名
主文
被告らは各自、原告大野良平に対し金六二五、五四四円、原告長谷川一雄に対し金一一五、五四四円及び右各金員に対する昭和四三年一月二三日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。
原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は各自の負担とする。
この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一双方の求める裁判
一 原告らは第一次請求として「被告らは連帯して、原告大野良平(原告大野という)に対し金三、九五〇、四二四円、原告長谷川一雄(原告長谷川という)に対し金五二五、九九〇円及び右各金員に対する昭和四三年一月二三日から支払いずみにいたるまで、年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。との判決並びに仮執行の宣言。」を求め、第二次請求として、「被告らは連帯して、原告大野に対し金二、八八〇、四二四円、原告長谷川に対し金一、五九五、九九〇円、及び右各金員に対する昭和四三年一月二三日から支払いずみに至るまで、年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。との判決並びに仮執行の宣言。」を求めた。
二 被告らは、原告らの第一次、第二次請求に対し、各「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。
第二請求の原因
一 訴外亡大野キチ(キチという)は、昭和四三年一月二三日午前六時一五分頃、京都市下京区堀川通り七条交差点の横断歩道を歩行中、堀川通りを北上中の被告天沼徹男(被告天沼という)の運転する貨物自動車(京一す七、六二三号、被告車という)にはねられて、顔面挫創傷及び後頭部挫傷の重傷を負い、同月二七日、同市同区新町通り北小路上ル平野町七六六福島病院において死亡した。
二 原被告らの地位
1 被告株式会社西湖堂(被告会社という)は、被告車の所有者であり、被告天沼は被告会社の従業員である。
2 原告らはキチの甥で、同人の相続人である。
キチは、訴外大野庄平、同ミスを両親とする六人兄弟の長女として生れ、若くして結婚したが間もなく離婚し子供はいなかつた。又、右両親及び訴外大野清作を除く他の兄弟は既に死亡している。そこで、キチの相続人は、キチの兄弟である右清作と、二男亡庄吉の子(代襲相続人)訴外稲垣トキ、原告大野、訴外柳沢美恵子、三女亡ツナの子(代襲相続人)原告長谷川、訴外板村文子(四女ヨイの養子でもある)の合計六名である。しかし、このうち原告両名を除く他の四名はいずれも相続の放棄をした(京都家庭裁判所昭和四三年(家)第八九〇―八九三号事件)ので、キチの相続人は原告両名だけである。ところが、原告長谷川は昭和三七年頃より行方不明のため、同四四年八月四日阿部力が同原告の不在者財産管理人に選任された(京都家庭裁判所昭和四三年(家)第一、二一六号事件)。
三 損害 合計金四、四七六、四一四円
1 入院、葬儀関係費 金九三八、七二三円
原告大野は、キチの入院及び葬儀のため、左記諸費用の支払を余儀なくされ、同額の損害を被つた。
(一) 入院中の衛生品・雑費 金八、〇〇〇円
(二) 葬儀費 金五六三、一七四円
(三) 院号、読経料 金九五、〇〇〇円
(四) 納骨費 金五〇、〇〇〇円
(五) 追善供養費(初七日、三五日、四九日、一〇〇ケ日) 金一二四、五四八円
(六) 連絡通信費 金一〇、〇〇〇円
(七) 交通費・宿泊費 金八八、〇〇〇円
2 得べかりし利益 金九八三、一六〇円
キチは、死亡当時満八一才のいたつて健康な尼僧で、京都市下京区塩小路通西洞院東入東塩小路八四二番地において、越後三条詰所という宿泊所を経営し、一ケ月平均金五〇、〇〇〇円以上の収入があつたので、本件交通事故がなければ、右宿泊所の経営を継続し、少くとも一ケ月に右同額の収入を得ていたはずである。
ところで、厚生大臣官房統計調査部編の昭和四一年簡易生命表によれば、満八一才の女子の平均余命年数は、五・八七年であり、このうち約半分の期間である二・九年間は就労可能期間と認められるべきであるから、一ケ月平均金五〇、〇〇〇円の収入から生活費一ケ月金二〇、〇〇〇円を控除して、これをホフマン式計算方法により計算すると、キチの得べかりし利益は金九八三、一六〇円である。よつて、キチは本件交通事故により右同額の損害を被つたことになり、原告らはキチの相続人として、それぞれ二分の一の相続分に当る金四九一、五八〇円ずつの損害賠償請求権を相続により取得した。
就労可能年数29年、これに対応するホフマン式係数2.731、月収金50,000円 月生活費金20,000円
金50,000円-金20,000円=金30,000円(月純益)
金30,000円×12=金360,000円(年純益)
金360,000円×2,731=金983,160円(現価)
3 慰藉料 金二、〇〇〇、〇〇〇円
(一) 原告大野は、訴外亡大野庄吉及び同りんの二男であり、右庄平の実姉であるキチとは甥、伯母の関係に当る。キチは若くして尼僧となり、大野妙誓と称して、長い間新潟県三条市の詰所に居住していたが、京都に移転してからも毎月数日間参詣、御奉活動のため三条へ滞在し、その間は三条の同原告宅へ泊つて生活を共にした。当時、同原告は母と離別して父庄平と二人暮しだつたので、キチの来訪をよろこび実母のように慕い、又キチも同原告をわが子のように可愛がつた。そして同原告が昭和一九年応召のときには、京都のキチのところで一ケ月間共に生活を送つて別れを惜み、復員してからも両者は益々親しくつき合つていた。他の親族とのつき合いのほとんどなかつたキチは、老令となるに従つて一層同原告を頼り、キチが目をわずらつた時には、同原告を呼び寄せ、かけつけた同原告が手術等病院の手続一切を行つたのである。又、本件交通事故による入院に際しては、寝ずの看病を続けるなど実の親子と同様の間柄にあつた。
(二) 一方、伝道一筋に生き抜いてきたキチは、東本願寺及び西本願寺の人々と親しい間柄にあり、晩年のキチの日課は、朝六時半から始まる東本願寺の朝のお勤めに参詣すること、その後同所で行われる朝、昼、夜三回のお説教を聞くことが、三条詰所の経営と共に主な仕事であつた。本件交通事故は、三条詰所から東本願寺の朝のお勤めに参詣する途中の出来事であつた。
(三) 原告大野は、本件交通事故によるキチの死亡によつて、実母を失つたと同様の大きな悲しみと、精神的打撃を受けた。よつて、原告大野の慰藉料は金二、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。
4 弁護士費用 金五五四、五三一円
原告らは、本件交通事故による損害賠償請求を、弁護士大類武雄、同小笹勝弘、同鈴木元子に依頼したが、左記弁護士費用は、本件交通事故によつて原告らが被つた損害であるから、当然被告らが負担すべきものである。
(一) 手数料 金二八〇、〇〇〇円
原告大野は、手数料金二八〇、〇〇〇円のうち金一〇〇、〇〇〇円を昭和四四年二月五日に、残金一八〇、〇〇〇円を同年四月一一日に弁護士大類武雄に支払つた。
(二) 謝金 金二七四、五三一円
原告らは、本件事件において認容された金額の一〇〇分の七に当る金額を、本事件の依頼の目的が達成されたと同時に、謝金として前記弁護士大類武雄らに支払うことになつている。
そこで、原告大野の支払額は、前記1ないし3の同原告分を合計した金三、四三〇、三〇三円の一〇〇分の七に当る金二四〇、一二一円、又原告長谷川は前記2の同原告分金四九一、五八〇円の一〇〇分の七に当る金三四、四一〇円である。
四 帰責事由
1 本件交通事故は、被告天沼が、被告会社所有の被告車を業務上運行中、運転上の過失によつて惹起し、キチを死亡させたものであり、被告会社は被告車を自己のため運行の用に供していたものである。
2 よつて、被告会社は、自動車損害賠償保障法(自賠法という)第三条により、又、被告天沼は民法第七〇九条の不法行為者として、連帯して賠償の責に任じなければならない。
五 そこで、原告大野は、金三、九五〇、四二四円、原告長谷川は金五二五、九九〇円及び右各金員に対する本件交通事故発生の日である昭和四三年一月二三日から支払ずみに至る迄、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を被告らに対し、連帯して支払うことを求める。
六 仮りに、原告大野が民法第七一一条に準じた固有の慰藉料請求権を有しないとすると、キチ自身の慰藉料が金二、〇〇〇、〇〇〇円であるから、原告らは二分の一ずつの各金一、〇〇〇、〇〇〇円の慰藉料請求権を相続によつて取得したことになる。
そうすると、弁護士費用のうちの謝金の額は、原告大野の分が金一七〇、一二一円、原告長谷川の分が金一〇四、四一〇円と変更されるから、原告大野は、金二、八八〇、四二四円、原告長谷川は金一、五九五、九九〇円及び右各金員に対する本件交通事故発生の日である昭和四三年一月二三日から支払ずみにいたるまで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を、被告らに対して連帯して支払うことを求める。
七 なお、原告らの主張に反する被告らの主張はすべてこれを争う旨付陳した。
第三被告らの認否と主張
一 請求原因に対する認否
第一項(但しキチは横断歩道上ではなく、一米三四糎位右に外れた地点を歩行していたものである。)、第二項の1、第四項の1(但し被告天沼の過失を除く)の事実はこれを認めるが、その余はすべて争う。
二 主張
1 被告天沼の無過失
被告天沼は、被告車を運転して堀川通りを時速約五〇粁で北進中、京都市下京区堀川通り七条交差点にさしかかつた。そして、本件交差点に入る前に信号を確認したところ青であり、又進路前方に人影を見なかつたので交差点に進入し、道路中央付近の凸凹を避けて進路を少し右側にとり、更に市電軌道の手前で時速を四〇粁に減速した。ところが、前方約一四米の地点に黒い人影を見たので、これが衝突を回避するため急ブレーキを踏んだが間に合わず、被告車の前部中央よりやや左の部分をキチの左側に衝突させたものである。
本件交差点は、アスフアルトの舗装が悪く、道が凸凹になつているうえ、当日は道路中央に生コンクリートが落ちていて一層凸凹がはげしくなつていた。被告天沼は、前述のとおり凸凹の部分を避けて通るように注意すると共に、減速して車の振動によつてハンドルをとられないようにし、本件交差点に入つてからは特に直前の道路を注視して運転していた。被告天沼は、本件交差点に入る前に信号が青であるのを確認しており、そのときは、前方に人影が見えなかつたので、交差点に入るとともに直前の道路の凸凹に気を配り、そのため一瞬、左右前方への注視を欠いたが、これは誰しも一時に一つの行為しかなし得ない以上止むを得ない処置であつて、被告天沼の運転について過失があるとは云えない。
2 キチの過失について
キチは、本件横断歩道上の信号が赤であるにもかかわらず横断していたため、本件交通事故となつたのであるから、その責任はキチにあるというべきである。
キチは老令で眼が悪く、平常は付添人に手をひかれながら外出していたにもかかわらず、当日は偶々一人で歩行していたため、信号を見落したものである。本件横断歩道上には、中間に安全地帯があるのであるから、キチは安全地帯で一旦停止し、信号を確認するか、左右を確認していたら被告車を容易に発見し、本件交通事故とはならなかつたはずである。
このように、老令で身体の動きも眼も不自由で付添人がなければ歩行の困難なキチが、敢て一人で交通量の多い本件交差点を歩行したこと自体キチを保護すべき原告らにも責任がある。
3 被告車には、当時構造上および機能上の欠陥、障害はなかつた。
4 従つて、被告天沼は民法第七〇九条の不法行為者でなく、又被告会社は、自賠法第三条の責任を負うものではない。
5 過失相殺
仮に、被告天沼に運転上の過失があつたとしても、キチ並びに原告側にも重大な過失があつたのであるから、八九パーセントの過失相殺がなされるべきである。
第四証拠関係〔略〕
理由
一 被告会社が被告車を所有しこれを自己のため運行の用に供していたこと、被告が被告会社の従業員で被告車を運転していたこと、訴外キチが昭和四三年一月二三日午前六時一五分頃京都市左京区堀川通り七条交差点を東から西に横断中、堀川通りを南から北に向つて進行していた被告天沼の運転する被告車にはねられて、顔面挫創傷及び後頭部挫傷の重傷を負い、同月二七日、同市同区新町通り北小路上ル平野町七六六福島病院において死亡したことは当事者間に争いがない。
二 被告天沼の過失について検討する。
1 〔証拠略〕によると、本件交差点は、南北に通ずる堀川通り(中央帯を含めて総幅員二六・四米)と東西に通ずる七条通り(市電軌道敷を含めて総幅員一八・六米)の交差するいわゆる七条交差点である。横断歩道の幅員は、いずれも四・六米であつて、堀川通りの南北の各横断歩道の間の距離(横断歩道の幅員を含まない)は四〇・四米である。本件交差点の北側車道上の路面は凸凹となつており、その上生コンクリートが落ちて凸凹は更にはげしくなつていた。本件交通事故発生当時、本件交差点には街路照明灯がついていて付近は明るく、車両も歩行者も共に少なかつた。
被告天沼は、被告車を時速約五〇粁で運転して進行中、塩小路交差点を通過した直後、本件交差点の対面信号機の表示が赤から青にかわつたことを認めた。被告天沼は、前記の速度で進行し、同信号機の表示が青のうち本件交差点に進入した。
ところが、前記のとおり路面が凸凹であつたため、進路をやや右に道路中央よりにとり、約四〇粁に減速したが、人通りの少ないことに気をゆるし、かつ、進路前方の道路の凸凹に気を奪われ、前方注視を怠り漫然と進行を続けたため、約一三ないし一四米前方に、本件交差点の北側横断歩道の北端線のすぐ外側(北側)を歩行していたキチを発見し、急制動の措置をとつたが間に合わずこれと衝突したことが認められる。
2 右の認定事実によると、被告天沼は前方注視義務を怠り本件交通事故を惹起したものであるから、これに過失があること明白である。
三 被告らの責任
1 被告天沼は、右のとおり被告車運転上の過失によつて、キチおよび原告らに損害を与えたものであるから、民法第七〇九条により賠償する責に任じなければならない。
2 被告会社は、被告車の運行供用者であるから、運転者に過失がある以上、爾余の免責の事由を判断する迄もなく自賠法第三条によつて、これが賠償の責に任じなければならない。
四 損害
1 入院、葬儀関係費
〔証拠略〕によると、入院、葬儀関係費として支出された費用のうち、金三〇〇、〇〇〇円が本件交通事故と相当因果関係にある損害と認められる。(原告大野の損害)
2 キチの得べかりし利益
〔証拠略〕によると、キチの死亡当時の年令は満八一才であり、当時越後三条詰所という宿泊所を経営し、一ケ月平均金五〇、〇〇〇円の収入があり、キチの一ケ月平均の生活費は金三〇、〇〇〇円であつたことが認められる。
よつて、キチの一ケ月の平均純益を金二〇、〇〇〇円とすると一ケ年の平均純益は金二四〇、〇〇〇円となる。キチの就労可能年数を二・五年とし、そのホフマン式係数を二・七三一として現価を算出すると金六五五、四四〇円となる。
金240,000円×2.731=金655,440円(現価)
3 過失相殺
前記認定の交通事故の態様によると、キチは対面信号機の表示が赤であるにもかかわらず横断歩行を継続した過失がある。よつて、被告天沼とキチの過失割合を考えるに、被告天沼二割、キチ八割と解するのが相当である。
そうすると、被告らに対し請求しうる入院、葬儀関係費は金六〇、〇〇〇円、得べかりし利益は金一三一、〇八八円となる。
4 相続
〔証拠略〕によると、キチの相続人は原告ら二人だけであり、その相続分は各二分の一であることが認められる。よつて、原告らはキチの得べかりし利益金一三一、〇八八円の二分の一である金六五、五四四円宛相続により取得したこととなる。
5 慰藉料
〔証拠略〕によると、原告大野の両親は、原告大野が生れて間もなく別居し原告大野は父と父の母と共に生活していた。そしてその頃、原告の伯母にあたるキチは、離婚して仏門に入り、京都から新潟県の三条市にくると、必ず原告大野の家に泊ることを常としていたため、キチは原告大野を自分の子供の生れかわりだと云つて可愛がり、原告大野はキチを母親のような気持で慕つていた。そして、原告大野が応召する前一ケ月間、キチと一緒に京都で暮らし、入隊後もキチからシヤツや手袋或いは大豆の煎つたもの等を度々送りとどけてもらつていた。
ところが、原告大野は入隊してはじめて父の後妻である訴外丸山モトの養子となつていることを知り、昭和三三年四月これが離縁の手続をとり、自分の本意でない養子関係を清算した。
そして、復員後においてもキチとの文通はつづき、年に四、五回はキチのところへ会いに行つていた。昭和四一年にキチが「ソコヒ」の手術をした際にも、原告大野は入院手続や看病を行い、又、本件交通事故のときにも、直ちに病院にかけつけ、以後ずつと付添つて看病にあたり、キチの葬儀も行つていることが認められる。
右の認定事実に、本件交通事故の原因、態様、キチの過失割合など諸般の事情を斟酌すると、原告大野に対する慰藉料の額は、金四〇〇、〇〇〇円が相当である。
6 弁護士費用
本件訴訟の難易、請求額、認容額その他諸般の事情を考え併せると、原告大野に対する弁護士費用は金一〇〇、〇〇〇円、同長谷川に対する分は金五〇、〇〇〇円が相当である。
五 そうすると、爾余の点を判断する迄もなく、被告らは各自、原告大野に対し金六二五、五四四円、原告長谷川に対し金一一五、五四四円及び右各金員に対し、本件交通事故発生の日である昭和四三年一月二三日以降完済に至る迄、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払わなければならない。そうすると、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるのでこれを認容することとし、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を夫々適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 石藤太郎)